「足利茶々丸を討つ!」北条早雲が時代を動かす一戦を決めた城【興国寺城】
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 Published On Apr 14, 2023

戦国時代、東海道に勢力を広げた今川家。その本拠、駿河の国のいちばん東の端に小さな城がありました。その名は興国寺城。
この興国寺城は基本的には今川家の城なのですが、「北条早雲旗揚げの城」としてよく知られています。北条早雲とはいったい誰かというと、関東一の大勢力「北条家」の初代当主です。北条家は歴史シミュレーションゲームでも東国最大規模の勢力として登場。豊かな領地、優秀な家臣も勢ぞろい!ということで人気があります。その本拠地は戦国最大の城郭小田原城。早雲以来五代100年にわたって関東の大部分を支配していました。
この北条家はもともと関東にあった家ではなく、知らないうちにどこからかやってきたいわゆる「よそ者」。関東には室町幕府の公方様やそれを支える管領もいましたので、それらの人から見れば伊豆・相模に突如出現した「怪しすぎる新興勢力」ということになります。初代となる早雲自身も「謎の浪人」という身分から身を起こし一大勢力を築いたわけで、「戦国大名の先駆け」とも言われています。
そんな早雲は一時期今川家の客将として興国寺城にいたのですが、ここで戦国時代の幕を開ける「先駆け行動」をやってのけるんですね。具体的には伊豆にもいた足利公方様に攻撃をしかけ滅ぼし、その土地を自分で治めていくというものです。この軍事行動を計画し「やってやるぜ!」と決心したのがこの城だったということでしょう。
ということで私たちの大好きな戦国時代は、北条早雲によってこの興国寺城からはじまった!ともいえるんじゃないのかな~と勝手に思っています。
現在興国寺城の跡は国の指定史跡となり、また続日本百名城にも選ばれています。

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