国指定重要無形民俗文化財 大土地神楽保存会 奉納神楽「八戸/YATO」前編
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 Published On May 21, 2023

大土地神楽保存会
(島根県出雲市大社町 国指定重要無形民俗文化財)

~社中の紹介~

この大土地神楽の起源は、宝暦4年大土地神楽は、寛政十年の「祷家順番長」寛政5年の「神楽道具控帳」等の記録によると、大土地荒神社の氏子により神楽が舞われており、三百年以上途絶えることなく受け継がれています。その舞い振りや奏楽は、毎年10月24・25日の荒神社例祭で、昔ながらの形で受け継がれていたが、時代の流れにより現在では、10月24・25日に一番近い金・土曜日に行われており、石見神楽は勿論のこと、出雲地方でも他に例を見ない素朴な特徴があり、能舞の要素が多分に含まれた舞いも残っています。さらに衣装も腰に「まくら」を背負った上に着けるといった、独特な容姿となっています。舞は各所で強く地を踏みしめる所作、あるいは、左手と左足、右手と右足、を同時に前に出して前進するという一見素朴な所作など、力強い振りが見られます。出雲神話を主題とした神楽舞です。全体の構成は、七座と神能からなる出雲神楽で、七座は神おろし・塩清め・悪切り・幣の舞・芝の舞・田草の舞・扇の舞からなります。神能は大土地神楽十二座とも伝えられ、山の神・五行・八千矛・国譲り・田村・茅の輪・岩戸・大恵比須・前素尊・後素尊・切目とそのほか数種の舞からなっています。

現在では、「大土地神楽方」により、氏子後援のもとに伝承維持されている。

昭和60年4月「島根県無形民俗文化財」に、平成17年3月には国の「重要無形民俗文化財」に指定されています。現在の活動としては、大土地荒神社例祭はもとより、出雲大社例祭への奉納神楽、県内外での公演もしています。近年では平成4年にアメリカ・ポートランドやエリンズバーグ、平成5年には、フランスの「パリ日本文化祭」やイギリス・ロンドンでの公演といった好機に恵まれ、国外でも神楽を披露することができました。また、「稲佐の浜夕刻篝火舞」等、他の神楽団体と企画したイベントも開催しています。

八戸(やと)前後二部構成
高天原(たかまがはら=天上界)より出雲国の飯の川(現在の斐伊川)に天降られた須佐之男命(すさのおのみこと)は、そこで一人の娘を連れた老夫婦に出会われます。老夫婦の名は足名椎神(あしなづちのかみ)と手名椎神(てなづちかみ)、娘の名は奇稲田姫(くしいなだひめ)と言いました。
親子が嘆き悲しんでいるので、須佐之男命がその理由を尋ねられると、「毎年、八俣大蛇(やまたのおろち=大蛇)が来て娘を食べてしまう。私たちには八人の娘がいたが、大蛇に食べられてしまい、最後に残ったこの娘も食べられてしまう」とのことです。須佐之男命はその大蛇を退治することを決意され、その暁には奇田姫を妻として迎えることを老夫婦に申し出られます。
老夫婦は娘の幸せのためにと承諾しましました。そこで須佐之男命は大きな樽に酒を満たし、大蛇が現れるのを待たれます。姿を現した大蛇が勢いよく酒を呑みほし、酔いつぶれて眠ってしまうと、ここぞとばかりに剣を斬りつけ、見事に大蛇を退治されました。その時、大蛇の尾先から剣が出現します。
これが三種の神器の一つである天叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)です。
さて、須佐之男命は奇稲田姫とご結婚され、須賀の地(現在の雲南市大東町 須賀)にて「八雲立つ 出雲八車垣妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」と和歌を詠まれ、仲むつまじくお暮らしになりました。

#出雲神楽
#出雲大社

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