十勝岳温泉郷の紅葉・ ロングバージョン DRONE×HOKKAIDO
Shinji kawamura Shinji kawamura
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 Published On Oct 9, 2018

歴史
当温泉を含む土地開発は地元商工会により計画された「十勝岳産業開発道路計画」のもと、1959年(昭和34年)12月開催の地元町議会において、道路開発に関する請願が採択されたことから本格化した。

1960年(昭和35年)5月、地図作成のための測量中、安政火口の渓谷に満ちている温泉に気付き源泉発見。翌年6月から本格的に温泉掘削(ヌッカクシフラヌイ川上流1,250m地点)に着手、3ヶ月後に湯温43℃、毎分250リットルの湯元を確保。

しかし、当地が未だ道路開通していない高所である故、温泉開業するためには、道路開削から始めることになる。

測量調査・温泉建設に関する認可申請・自衛隊との協議などを経た翌1961年7月町議会で産業開発道路を町道「十勝岳線」として認定。同年、自衛隊と自衛隊法第100条に基づく工事の委託契約を結び、同年8月中茶屋で起工式を挙げ、道路工事が始まる。

そのような環境の中、山小屋「凌雲閣」は、道路工事途中の1963年7月営業開始し、温泉営業の歴史が始まる。しかし実際は、「前年冬、一部未完成のまま宿泊も含め仮営業していた」との記録がある。

町はこの産業開発道路によって、「温泉を中心とした観光事業の振興」「翁温泉跡(現・思惟林附近)一帯の褐鉄鉱・旧噴火口の硫黄などの資源開発」を推進しようと画策。しかし工事は困難を極め、財政負担増による混乱があったものの、1965年5月『十勝岳産業開発道路工事』最終工事600m区間の工事着手、同年7月4日旭川電気軌道の路線バスが道路完工を待たず十勝岳温泉凌雲閣前までの運行開始、同月27日『十勝岳産業開発道路』開通式が行われ、竣工道路が受渡された。

道路開通後の1967年10月1日、厚生省告示第420号により、国民保養温泉地に指定をされることになる。

この年上富良野町は、10月8日に「国民宿舎カミホロ荘」を開業。

また、道路工事を終了した自衛隊は山スキーの拠点とするため、同年11月防衛庁共済組合により十勝青年隊員の家『上富山荘』を開業している(1978年3月、施設閉鎖。

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