品川歴史探訪 関東大震災 ~語り継ぐ震災の記憶~
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 Published On Dec 29, 2016

ナレーション 「大正12(1923)年9月1日、午前11時58分。関東一円に未曾有の被害をもたらした関東大震災が発生。地震の規模はマグニチュード7.9。激しい揺れによる建物の倒壊や火災による被害の他に、津波や山崩れによる被害も甚大なものでした。今回は関東大震災から90年が過ぎた今、忘れてはならない震災の記憶をたどります」

ナレーション「関東大震災による死者・行方不明者は10万5千人を超え、およそ30万棟の家屋が全壊・焼失し、190万人以上に及ぶ被災者を出しました」

ナレーション「震災から一年後に旧大井町役場から発行された『大震災記念誌』という小冊子に、大井町付近の被災状況がまとめられています。大井町で亡くなった方は25人、他の場所で亡くなった方は16人、倒壊家屋は全壊・半壊を含めて186棟でした。しかし、火災の難は逃れたことは幸いであったと記録されています」

ナレーション「現在、中延に住む中町さんご夫妻。ご主人の壽男(ひさお)さんは11歳の頃、関東大震災が発生しました」

中町壽男さん「私の親戚なんですが、東海道に面して旅館をやっていました。そこの庭でブランコに乗っていました。そしたら、ブランコがこんなになったものだから、何だろうと思って座敷の方を見たら、大きな地震がきたんだよと言われ、そこにいたら上から瓦が落ちてきたら危ないからこっちにおいでと言われ、それで私は座敷に入ったんです。そこまでは覚えています」

中町壽男さん「(震災の)翌日から東海道を通れないくらい、どんどん人が川崎の方へ行ったんだと思います。荷車をひいたり、(荷物を)かついだりして、ぞろぞろ東海道を(移動していました)」

ナレーション「群馬県で生まれた奧様のいくさんは、嫁ぎ先の中町さんのお姑さんに震災直後の写真を見せてもらいました」

中町いくさん「『焼けた人がいるんだよ』と言って、これを見せてくれたんですよ。何十年経っても震災の時はこういう状態だったということを教えてもらった。これからは 孫とか子どもたちにも、これを見せてあげたいと思います。話しても伝わりにくいけど、こうした、日付も書いているのでこういうのを見たら(悲惨なことが)実際にあったんだと思いますよね」

ナレーション「奥様がお姑さんから受け継いだ写真の中の一枚に、『本所被服廠跡』と記されたものがあります」

ナレーション「ここは現在、東京都慰霊堂となっている場所です。震災が起きた後、付近に住む多くの人々はここへ避難してきました。そこへ四方から火の手が襲いかかり、3万8千人もの命を奪ったのです」

中町いくさん「隅田川へ飛び込んだ人もいたが、川が人でいっぱいだった。さらに川が煮湯だったので
飛び込んだ人はみんな亡くなったと(聞いた)」

ナレーション「川に入って亡くなった人たちの中の37体の遺体が品川の海岸に流れ着いたという記録が残されています。後に西五反田の行元寺(ぎょうがんじ)や南品川の海蔵寺では、流れ着いた死者のために供養塔が建立され、手厚く供養されています」

ナレーション「比較的被害の少なかった品川地域ですが、そんな中でも、命の危険にさらされていた方もいます」

石井一郎さん「この辺は家が14軒ありました。さみしい農村でした。昔は目黒川でウナギやドジョウを
獲っていたんですよ。親戚の家へ赤飯を持って行く途中、急に(地震が)きたんですよ。歩けないんですよ。かむろ坂の途中で揺れがひどくて、どうすることもできないんです。クヌギの木にかけ登ったんです。そして、しばらくの間、木の上にいたんです。地震がおさまるまで。この辺の電信柱は全部倒れました。電気はつかなくなりました。そのあと 余震が次から次へとあるんですよ。怖いものでみんな怯えていました。家の周りの石灯籠も倒れて、地割れもしていました」

石井一郎さん「夜は庭に蚊帳をつって、雨戸などを使って寝ていました。昔は東京市内といったfが、こちらは郊外で畑と田んぼだけでしたので火事とかはあまり無かったけれど、あっち(東京市内)の方は家が密集していたので火事で被害が出ました。幾日も幾日も燃えていたんですよ。夜になると、庭で寝ていると空が真っ赤になって、それが翌日もまだ燃えていたんです。兵隊が軍服を着た姿、2〜3人で一軒一軒の家をまわって歩いていました。その兵隊が持っていた乾パンをもらった」

ナレーション「小山に住む、石井 悌次郎(ていじろう)さんのお宅には、当時の平塚村長から父親の市兵衛さんに贈られた感謝状が大切に保管されています」

石井悌次郎さん「震災で羅被災された方がこちらの方へ避難してきたので、村をあげて避難してきた人を今で言うボランティア活動をして面倒をみたと言う話を(父親から)聞きました。人間というのは誰でも同じように生きて、同じように助け合わなければいけないという考えは持っていたと思う。困っている時はお互いに助け合わなければいけないと思いますよ」

ナレーション「その後も大地震は突然発生し、多くの被害をもたらしてきました。しかし、そのたびに、私たちはお互いに助け合いながら、その困難を乗り越えてきました。そして、この経験と記憶を未来に生かすために、私たちは後世に語り継いでいかなければならないのです」

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