【丹波篠山城】守りが固すぎて家康が激怒した?城がすごかった!築城名手藤堂高虎が豊臣家を滅ぼすために築く
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 Published On Jun 25, 2022

兵庫県東部「丹波篠山」は昔ながらの街並みが残る城下町。武家屋敷として使われていた古い建物や町屋が残っておりブラブラ散歩すると最高ですね。
そしてこの街の中心であったのが篠山城。現在は公園として整備され、見学できるようになっています。見どころは復元された立派な大書院(おおしょいん)。三角の屋根が高いし、とにかく巨大ですね。こんな豪華な建物がある城というと二条城とか名古屋城といった名の知られた大規模な城。篠山城のような地方の一大名の城にこのような巨大な書院があるのは珍しいとのことです。
そして、大書院の周りには築城当時からの高い石垣や幅の広い堀が残っています。復元模型によると、当時の篠山城はこんな姿だったようで、石垣の上には余すところなく多門櫓が巡り、角には櫓が建ち、出入口も厳重に守られているのがわかります。ここまでガッチリ石垣と櫓で囲まれた城ってあまりみたことがありません。とても守りの固い城だったのですね。
篠山城は地方の一大名の城としては破格の防御力をもっています。この城は徳川家康の命令によって築かれたのですが、あまりにもスゴイ城になってしまったため家康が完成直前に天守を建てるのをやめさせたいう話が残るほどです。篠山城は、どうしてそんなにスゴイ城になってしまったのでしょうか。
その理由はこの城が築かれた目的にあります。その目的とは大坂城の豊臣秀頼を包囲し動きを封じること。「大坂包囲網」のため、篠山城は諸国の大名の手による「天下普請」によって築かれたのです。そしてこの城の縄張りを行ったのは築城の名手と呼ばれる藤堂高虎。高虎はこれまでに何度も大坂城を包囲するための城の縄張りを担当してきました。そしてこの篠山城にも堅固な防御施設をたくさん盛り込んだのです。
ということで、「大坂包囲網」のひとつとして実戦をとことん意識して築かれた篠山城。その様子を現地を訪れて紹介します。

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