令和4年 下館祇園祭 平成神輿半端ない渡御です 迫力満点です 。
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 Published On Jul 30, 2022

下館祇園祭 羽黒神社 
平成神輿
重さは何と2トン。実際にもまれる(担がれる)神輿として、日本で最重量を誇るのが、下館祇園まつりの平成神輿です。幅は約1.4メートル、高さが3.5メートル、担ぐ棒の長さは縦7メートル、横6.4メートルにもおよびます。沖縄国際映画祭・地域発信型映画の出展作品『またいつか夏に。』の題材にもなったことから、その存在をご存知の方も多いのではないでしょうか。
神輿の胴の上の周囲には十二支の彫り物、屋根や台輪、長押など漆の部分には貝殻入りの螺鈿塗り(らでんぬり)に金箔仕上げの彫刻が施してあり、一つの美術品としても見どころが豊富です。
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明治神輿
鷹をシンボルとした明治神輿

この下館祇園まつりでは、他にも、重さ1トンの明治神輿、女性だけで担ぐ姫神輿、旧下館市内から参集する30数基にもおよぶ子供神輿による渡御(神輿が進むこと)を目で楽しむことができます。明治神輿はその名の通り、明治28年(1895年)に日清戦争の戦勝記念として造られた歴史ある神輿。日清戦争の戦勝記念として、胴の上、四方に日章旗と軍艦旗の彫刻が施され、その間には鷹も彫刻されています。ちなみにこの鷹の彫刻に関しては、日清戦争時の巡洋艦『高千穂』が由来。戦争勝利時に鷹が飛来したとの事実に基づき、シンボルにしたのだとか。
1世紀近い歳月を経た明治神輿の老朽化に伴い、平成4年(1992年)に、日本最重量の平成神輿が造られました。しかし歴史ある明治神輿も、平成22年(2010年)、見事に修復。平成と明治の大神輿による、時代を超えた競演は、まだまだこれからも続いていくでしょう。
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姫神輿と子供神輿

女性限定の姫神輿を担ぐ女子の会として『玉依会(たまよりかい)』が存在します。これは神話に出てくる女性の神様である玉依姫命(たまよりひめのみこと)にちなんで付けられた名前です。
30基以上の子供神輿による連合渡御もまた、下館祇園まつりの大きな見どころの一つ。地域の未来を支えていく子供たちが躍動感にあふれる様子で渡御していく姿は、多くの観覧者にとって何かしらの感情を揺さぶるはずです。
笛・大太鼓・タッパと呼ばれる小太鼓によって構成される祭囃子は、関東の祭りの中でも珍しい独特のゆったりした哀愁を帯びたリズムで、一聴、一見の価値があります。
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下館祇園まつりの歴史的背景

まず、下館祇園まつりの大元となる羽黒神社の存在について。この地域の羽黒神社の始まりは、戦国の世の初期、室町時代に遡り、時は文明13年(1481年)、下館城初代城主である水谷勝氏(みずのやかつうじ)公が、領内の安堵をはかるため、尊崇(そんすう※意味は、尊びあがめること)していた出羽国(山形県)羽黒大神を勧請(かんじょう※意味は、分霊を他の神社に移して祭ること)したということが起源になります。

下館祇園まつりの原型となる祭りも、おそらくこの頃に始まったものとされていますが、現在のような神輿渡御が、いつの時代・時期から定着したものなのかは、はっきりとはわかっていないようです。
ある説によれば、幕政下の菅谷村(現在の筑西市菅谷)や、市野辺村(現在の筑西市市野辺)などの近在の村々で行なわれていた神輿渡御を、下館町内でも行ないたいと、明治3年(1870年)に上町・下町の名主、組頭たちが、当時の小参事である衣笠政好に願い出た、というのが神輿渡御の始まりといわれています。
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川で神輿が担がれる異形の風景
この川渡御こそ、下館祇園まつりのクライマックスを飾る、大きな見せ場です。4日目、最終日の早朝。市内を流れる勤行川(ごんぎょうがわ)にて、期間中、神輿に宿した氏子のけがれを川に流し清める禊の神事が、この川渡御なのです。



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世界中で キューバ人です。《 日本のお祭り、神輿 伝統と文化 》です。(キューバとジャパン文化交流です)。
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