「正しい拳は和の拳であり正しい心は和の心。正しい拳の道は和の道」''The correct way of fist is the way of harmony’’
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 Published On Jul 27, 2024

和道流の創始者である初代宗家 大塚博紀 先生の著書を読んでいて、私は師である瀬田松先生の言葉を思い出した。「ワシの全ての技を君に教えるが、それを君が生涯一度も使う必要がなければ良いことだ。」
As I read the writings of the founder of Wado-ryu, I remembered the words of my master, Setamatsu Sensei."I will teach you all my skills, but the best thing is that you will never have a chance to use them in your life"

「正しい拳は和の拳であり正しい心は和の心である。正しい拳の道は和の道である。」という大塚先生の想いを瀬田松先生が私に教えてくれました。
Setamatsu Sensei taught me Otsuka Sensei's philosophy, ’’A righteous fist is a harmonious fist, and a righteous heart is a harmonious heart. The correct way of fist is the way of harmony’’

「日本武道は積極的であり大乗的である。決して護身が目的で生れたものではない。護身は勝つための防禦である。そこに日本武道の特性がある。技はたまたま護身術になり得る場合があるに過ぎない。武技を護身のために用いねばならぬことさえ既に不幸な事である。この不幸を未然に防ぐため、「気構え」「心構え」がやかましくいわれるのである。戦略的に先制するため先手に出ることはあっても、それはあくまで勝つための戦術的手段に外ならない。」
’’Japanese Budo are aggressive and Mahayana-like. It was never created for the purpose of self-defense. Self-defense is defense to win. Therein lies the characteristic of Japanese martial arts. It's just that the technique happens to be a technique of self-defense. Even having to use martial arts for self-defense is already unfortunate. In order to prevent this misfortune from happening, ``attitude'' and ``mindfulness'' are often talked about. Although it is possible to make the first move in order to strategically take the lead, it is nothing more than a tactical means to win’’ Words by Founder of Wado-ryu Hironori Otsuka Sensei

和道流空手道・柔術拳法の流祖 初代宗家 大塚博紀 最高師範 著
空手道 第一巻 P12 ≪正拳≫

心正しからざれば剣また正しからず。武士の魂である剣を正しく用いる剣の道を修業するには正しい心を持ってせねばならないといわれている。空手の生命ともいうべき拳の正しい用い方もまた正しい心を持ってせねばならない。心正しからざれば邪に陥るのである。正しい心を持つということは真に容易なことに思われるが,人間にはおのおの慾心もあり邪も伴うので事実は非常にむずかしい。正しい武技を修錬することによって正しい心の修錬ができる。だから武技は正しい武技でなければならない。即ち天地人の理道に和した武技でなければ正しい武技とはいえない。正しい拳は和の拳であり正しい心は和の心である。正しい拳の道は和の道である。
前述の如く武道の根本理念は平和にあるので、故なくして武技を用うることは当然ありえないのである。またこれを用いねばならぬことほど人間として最大の不幸はない。だから終生これを用いないですむ様に争いごとや戦争をなくするために武道があるのである。だからみだりに先手に用いることは最もにくむべきことである。武技を用いるのは紛争解決の手段としては下の下策で、相手の暴力に対し万策つきてこれを用いる以外に手段方法のない時止むを得ずして用いるのである。用いる以上は絶対に平和をとり戻さねばならない。そのためには断じて勝たねばならぬ。だから皮を切らして肉を切り、肉を切らして骨を切り,骨を切らして髄を切るという生死をかけて勝たねばならぬ教えがある。たとえ斃れても必ず相手を斃さねば止まぬのである。日本武道は積極的であり大乗的である。決して護身が目的で生れたものではない。護身は勝つための防禦である。そこに日本武道の特性がある。技はたまたま護身術になり得る場合があるに過ぎない。武技を護身のために用いねばならぬことさえ既に不幸な事である。この不幸を未然に防ぐため、「気構え」「心構え」がやかましくいわれるのである。戦略的に先制するため先手に出ることはあっても、それはあくまで勝つための戦術的手段に外ならない。

動画で使用させて頂いた曲は、ユーキヒロセさんが作曲されました。
【HP】https://yu-kihirose.com

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