天竜川水系 泰阜ダム AERIAL DRONE 4K 60fps VIDEO - Tenryu-gawa River - The Yasuoka Dam
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 Published On Aug 23, 2021

泰阜(やすおか)ダム 長野県下伊那郡泰阜村-阿南町
https://goo.gl/maps/bPwtxrP94qEaUxok8
1935年竣工

泰阜ダムは「日本の電力王」こと福澤桃介によって手掛けられた。

木曽川の電源開発で名を上げた桃介は、天竜川の豊富な水量に以前から着目しており、晩年になってようやく天竜川水系の開発に着手した。桃介は天竜川電力を設立し、1927年(昭和2年)に南向発電所の建設に着手したが、その建設工事に必要な電力を供給するためとして1925年(大正14年)に設置した大久保発電所・大久保ダム(小堰堤)が天竜川水系の電源開発の第一歩である。
その後、南向発電所・南向ダム(小堰堤)を1929年(昭和4年)に完成させたが、桃介が直接携わった電力事業はこれが最後となった。

彼の意思を継いだ天竜川電力はやがて矢作水力へと合併。引き続き電源開発を進め、天竜川水系初の本格的ダム式発電所である泰阜発電所・泰阜ダムの建設を開始した。
1931年(昭和6年)より天竜峡の下流部に建設が開始され、1935年(昭和10年)に完成した。
堤高36.9m、最大出力52,500kwは、当時国内最大の水力発電所であった。

泰阜ダムの完成に伴い、かつての名物であった天竜川の水運、いかだ下りによる木材運搬は途絶することになった。

その後も天竜川の電源開発は進み、1936年(昭和11年)には支流の岩倉川に岩倉ダムが建設され、1938年(昭和13年)には泰阜ダムの直下流において平岡ダムの建設が開始される。この間、電力国家統制策によりダム・発電所は日本発送電に接収されるが、戦後は連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) による過度経済力集中排除法により分割・民営化され、以後中部電力によって管理・運営されていく。

工事のために、三信鉄道(現飯田線)が敷設された。隣接のJR飯田線門島駅が現存。
日本の近代土木遺産(現存する重要な土木構造物2800選)に選定されている。

土砂の河床への堆積とダムの堰上げに起因して、地元の人々は天竜峡の河床が上昇、洪水が頻発するようになったと訴え、ついに1950(昭和25)年の水害を契機に「泰阜ダム撤去」運動が起こった。堆砂率は1993(平成5)年で80.4%に達している。

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