ウパニシャッド哲学【インド哲学解説】
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 Published On Feb 3, 2021

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動画の書き起こし版です。

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【ウパニシャッド(奥義書)】とは、紀元前5世紀ごろから成立し始めた
ヴェーダを哲学的に解釈する書物の総称です。
ウパニシャッド(奥義書)に基づく哲学がウパニシャッド哲学です。

その数は200以上あると言われていて
特に初期に成立した10数個のウパニシャッドを
【古ウパニシャッド】と呼びます。

ウパニシャッドとは『傍に座る』という意味で
これはバラモンの師から弟子へと一子相伝で伝えられた奥義という性質を表しています。

当時、バラモンの中でも思想のぶつかり合いがありました。
農耕が主な収入源となったことで、それまでよりも自然の重要度が増し
関連してバラモンの権力が強くなっていく中で
現世利益を祈る儀式はどんどん形式化していきました。
要は、意味は置いておいて、儀式をすること自体が大事。
と儀式のノウハウばかりを追い求めるようになったのです。

ある集団はそれに疑問を持ちます。
「儀式のノウハウよりも、なぜそれが必要なのか?の方が大事なのではないか」

こうしてヴェーダの哲学的な要素を研究し
真理を探求する動きが現れたのです。
つまり祭式よりも『知の重要性』を説いたわけですね。

このことから、ウパニシャッド哲学は
『世界最古の思弁的哲学思想』と呼ばれることもあります。

代表的な思想家は『ヤージュニャ・ヴァルキヤ』や『ウッダーラカ・アールニ』です。
ヤージュニャ・ヴァルキヤは釈迦にも影響を与えたと言われています。

ウパニシャッド哲学といえば、一にも二にも【梵我一如】でしょう。

宇宙の根源である【ブラフマン(梵)】と
人間の本質である【アートマン(我)】は同一のものである。

それを自覚することで、輪廻の業(苦悩)から解放され、解脱に至ることができる。

短くまとめると、これがウパニシャッド哲学の核です。

宇宙の根源であるとされるブラフマンですが、
元々ヴェーダにおいてはブラフマンは『言葉』という意味で使われていました。
当時は祭式が最高の権力を持っていて、
祭式で使われる言葉(マントラ)によって
神々を支配することすらできる。と考えられていました。
ある意味ブラフマン(言葉)は神を超えた最高神であったとも言えるでしょう。

それが転じて『外界にあるすべてのものと活動の背後にあって、変わることのないもの』
つまり普遍な原理と呼ばれたのです。

一方で、アートマンは意識の最も深いところにある個の根源です。
心や意識をアートマンと表現することもありますが、
どちらかというと、それらのもっと背後にある魂的なものを指す言葉とされます。

この両者がそもそも同一なものだと理解することが
解脱へのたった一つの方法である。ということなんですね。

梵我一如について解説することはもはや愚行です。
そもそも、これを理解できたら解脱できるとされているわけですから
当然そう簡単に理解できるものではありません。
もちろん、真に理解していないものを解説できるはずもありません。

それを大前提に置いた上で
個人的な解釈を少し突拍子もない例えで表現することをお許しください。


インド哲学には【業】という概念があります。
身体的な行為や発言、思ったことなど。
これらは死んでも輪廻することで魂に受け継がれ次の生で結果として現れます。
これを【自業自得】【因果応報】などと表現しますね。

因果応報により、過去の業は現世に結果として現れます。
これによって生まれた際のカーストが決定される。
業と輪廻の概念がカースト制度を支えていることがわかります。

浮いたり沈んだりする輪廻。この繰り返しこそが苦であると考えられたのです。
そして、その苦から解放されるためには輪廻自体から抜け出さないといけない。
それが解脱であり、涅槃(ニルヴァーナ)です。


それを前提に私たちの人生をマリオに例えてみましょう。
ゲームの中で一生を全うした私(マリオ)たちは、
死を迎えると、すぐさま新しい生を受けまたゲームの世界を生きます。

延々と繰り返される『いずれ死ぬ』ゲームは
捉えようによっては苦痛以外の何者でもないと考えられます。

今この瞬間に右スクロールでBダッシュしているマリオはまさにアートマンです。
本人にとっては、その生こそが全てでありそれ自体が自分だと感じています。

一方でマリオを操作する主体がブラフマンだとしましょう。
この場合、主体が属する世界自体をブラフマンと表現するべきですが便宜上割愛します。

この瞬間、マリオがふと気づきます。
「自分とこの世界を作っている主体(ブラフマン)は同一である」
それらが完璧に一致したときマリオはそのマリオ性を捨て
ゲームの世界からログアウトすることができます。

つまり、延々と続く生と死(輪廻)から解放されたのです。

梵我一如、または解脱とは『ログアウト』である。

これはかなり怒られそうです。

ウパニシャッド哲学においては、梵我一如を
『知によって』理解しようとしました。

この哲学を源泉にして瞑想やヨーガで解脱を目指す勢力が現れたり
苦行で涅槃を達成しようとする集団が現れたりします。

それが仏教やジャイナ教、そして六派哲学に代表されるインド哲学です。


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