《神子原の獅子》石川県羽咋市神子原町3/7【半島の獅子】石動山系/西 20150920 MVI 2094
石丸伸二を哲学する 石丸伸二を哲学する
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 Published On Oct 25, 2015

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“↓動画の解説も是非みてください↓”
(2/7からの続き)

夕方、思い立っていってみた山の獅子。思い立ってよかった。神子原の山中さんにもお礼をいいにいった。お父さんは不在であったが、神子原が米を創っていて、昔は干ばつでどうこう、という話を聞けた。日も暮れた後であったが、田んぼを探してみた。車道のある通りからは見当たらない。山へと続く道を上がっていくと、田んぼがあった。ゴマチマチを思い出した。ここは確かに、神子原である。この土地の獅子は、この土地の神様であって、人々に力を与えている。彼等は何故獅子を振るのだろう。神様をひとりぼっちにしておこないのだろうか。神子原という場所を、棲家を、人とともに暮らすことを大切にするオモイが彼等に獅子舞を振らせるのだとおもう。

山の獅子と花火、爆竹について。爆竹の歴史はとんどまで遡れる。火薬の無い時代は、竹を燃やして音を立てていたかもしれない。現在はワラになっているが、宮に神輿と獅子が戻る際、鳥居付近でワラを燃やす。特に山のお獅子はそうだった。むつの大間で海の日に、中国から来た女の神様の祭の時には、中国から人がやって来て、爆竹をならすという。むつでは宮の形をした神輿ではなく、船を引いていく。話をもどそう。岡の獅子は、代わりにタイマツを持って天狗が舞う。その趣向がいつからかは分からない。爆竹の代わりに花火を燃やす所もある。羽咋でもよく花火の音を聞いた。山の獅子も盛大に花火をあげる。これほどの執着、これほどの威勢、これほどの振る舞い。そこには個人の欲望は群集となって獅子頭、神輿に象徴されている。都会では個人の欲望の象徴は、紙幣である。「幣」という漢字を当てたのは明治の革命者達の妙案であった。津軽、そして論田では宮ノ前の「旗」は五色であった。能登では赤一色か、白一色が主流であろう。こうした多様性はともかく、祭では旗を掲げる。獅子を招く家は戸口を開いて、皆が入れるようにする。こうした舞台を作り上げて、衣装も着飾って、誰が見ているともなしに舞う。それは為政者にいわせれば、まったくの不経済であって、浪費であって、そんな余裕が暮らしにあるなら搾ってしまいたいと思えることであっただろう。祭が過差と呼ばれるようになる以前から、若しくはそれ以前から日本は「経済」という概念を知っていたのだと思わせる。観客もいない、収入も無い、それでも祭をする人の心は、時代をどれほど遡れるのだろうか。


暗黙のうちに忘れ去られようとする「日本人」の記憶の価値は、現代社会のどこにあるのだろうか。
だれか私をプロヂデュースしてほしいものである。

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