南北朝北斉の英雄・蘭陵王はどんな人?~実在の高長恭はイケメン仮面でしかも最強?【わかりやすく解説世界史】
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 Published On Sep 21, 2024

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音声:AquesTalk

概要

蘭陵王こと高長恭は、中国の北斉の皇族で、勇猛かつ美しい顔立ちで知られています。彼は北魏から東魏にかけての有力者である高歓の孫で、父親の高澄が早世したため、幼少期から注目されていました。高澄は南朝梁の武将蘭京の反乱で命を落とし、その後を継いだ高洋が東魏の皇帝から禅譲を受け、北斉を建てました。
蘭陵王は北斉の重要な軍事指揮官として、北周や突厥と戦い、多くの戦功を挙げました。特に有名なのは、564年の北周との戦いで、500騎を率いて洛陽の包囲を突破し、勝利に導いたことです。この戦いをもとに「蘭陵王入陣曲」という歌謡も作られました。また、彼の美貌は正史『北斉書』にも記されており、唐の時代の文書には、敵に見くびられないよう仮面をつけて戦ったとされています。
蘭陵王は段韶や斛律光といった優れた将軍たちと協力し、多くの戦いで勝利を収めました。段韶は優秀な軍師であり、斛律光は常勝将軍として知られていました。しかし、段韶が571年に亡くなり、翌年には斛律光も奸臣たちの讒言で皇帝から死刑を宣告されました。蘭陵王もまた、少年皇帝の猜疑心と奸臣たちの陰謀により、572年に毒を飲まされて命を落としました。
彼の死後、北斉は急速に衰退し、577年に北周に滅ぼされました。少年皇帝も21歳で亡くなり、北斉の終焉を迎えました。『北斉書』には、蘭陵王に全権を委ねていれば北斉は続いたかもしれないと記されています。その後、581年には北周も隋に滅ぼされ、隋が中国を統一しました。

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