古い町並  丹波市青垣町佐治  兵庫県
七ちょめ 七ちょめ
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 Published On Sep 21, 2020

古い町並
 佐治は山陰道の亀山(亀岡市)から分かれた篠山街道が、篠山ー柏原ー佐治ー遠阪峠ー簗瀬で再び山陰道と合流する主要道の要所であり、播磨への往還が分岐し、早くから町場が形成されていた。
生野銀山からの年貢上納銀は毎年数回にわたって、生野から但馬の簗瀬に入り遠阪峠を越えて、佐治で一泊し、柏原を通って大坂にむかった。
江戸後期寛政7年(1795)に刊行された、「丹波志」によると家数300余。
街道沿いの街として発展し、旅籠屋も多く、出身地の地名を屋号とした店が軒を連ねていて、人馬の往来も頻繁であった。
江戸期、佐治の町には毎月2と9のつく日に市が開かれ、和紙や佐治つむぎ・丹波布などの取引で賑わった。
丹波志によると、氷上郡内の産物として佐治村では養蚕が盛んで、「蚕を多くし 糸多く出す」と記されている。この地の養蚕業は京都西陣織・丹後ちりめんの原料を供給するものであった。
今町並を歩くと、明治期の製糸業隆盛時代の町並がそのまま残っている。大型の伝統的な商家の建物は平入りだが、一般的には妻入りの商家の建物が多い。2階建て又は中2階建てで、漆喰塗り込めの虫籠窓も備わっていた。県道がバイパスとし町並を外れて通ったので、町並はそのまま保存され、明治期を再現したようないい町並が残っていた。

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