ハチ公の上野英三郎先生と過ごしたわずか数年のとき
Shirakami ch Shirakami ch
671 subscribers
22,510 views
340

 Published On Nov 6, 2018

#ハチ公 #hachiko #ハチ公生誕100年 #HACHI100
ハチ公生誕100年記念事業(HACHI100)パートナー
秋田県に関連する人物、動物、観光地、伝説などの動画を制作しています。
特にハチ公。秋田犬。
よろしければチャンネル登録お願いします。

ハチ公物語で知られる秋田犬ハチ、そのハチ公が最も幸せで濃厚な時間を過ごした上野邸は、現在、渋谷にある東急百貨店本店のある場所に、尋常小学校のグランドを見渡す丘の上に広大な敷地を有していました。
 ハチ公が実際に、上野先生と幸せに暮らすことが出来た期間は、1年半くらいの短い期間でした。
 上野先生と奥様は、上野先生の親が決めた結婚相手がいたため、親の反対を押し切って、駆け落ち同然で結婚をしています。
 そのため入籍はすることが出来ませんでした。
このことは、上野先生の急逝後の、奥様やハチ、そして書生であった才助少年、才ちゃんの人生に大きく関わってきます。
 というのも上野先生の奥様は、上野先生の親からすれば、我が息子を、親の反対を押し切って奪った相手ということになります。
 そのため、上野先生の急逝後、この広大な新居を出ていかざるを得なくなります。もちろん上野先生の相続もすることは出来ませんでした。
 事実上、追い出されたといっても過言ではない状況だったようです。
女が一人で生きていくのは大変な時代でした。
 当然、書生であった才ちゃんを奥様が養えるわけはなく、九州に帰省を余儀なくされます。
ハチやジョン、エスといった犬たちも同様でした。
ハチのような立派に成長した、力の強い秋田犬を女が、散歩に連れて行くのは容易ではなかったはずです。
 ほとんど放し飼いで飼われていた、渋谷の豪邸時代とは訳が違います。
世田谷の家に移り住んだ奥様は、ハチを放してみたこともあったようなんですが、近所の農民に畑を荒らす、と注意され、時には、鞭で叩かれ傷を負ってくることもあったようです。
ほとんど放し飼いで飼われていた、渋谷の豪邸時代とは大分訳が違いました。
 やむなく奥様は、上野先生との結婚の証であったハチを、親せきなどに預けることにしました。
 人の家に預けられたハチ公は、今までのように渋谷駅に自由に通うことが出来なくなり、トラブルなども起こしてしまいます。
 ハチの状況を心配した奥様は、上野先生が生前、気にかけて親交の深かった上野家出入りの庭師、小林菊三郎さんにあずかってくれないか、とお願いしました。
 始めは、小林菊三郎さんは、上野先生の大事な形見を預かって、どうかしてしまえば大変だという思いで、お断りしたようです。
 しかし、奥様は目に涙を浮かべながら「・・・じゃあ、あげる」とくるっと後ろを振り返ってしまったようです。
 小林さんはハチ公を預かることに決めました。
 菊さんの家は、当時、上野先生が勤務していた東京帝国大学農学部にほど近い、渋谷の富ヶ谷にありました。
あまり知られていませんが、ハチが送り迎えしたのは、この東京帝国大学農学部のほうが多く、渋谷駅は、上野先生の出張などの場合でありました。
 ただハチやジョン、エスも先生が長い間帰らない場合は、渋谷駅が帰ってくる場所であるという認識はしていたようです。
 渋谷駅までも、そう遠くはない場所です。
ハチはようやく、住み慣れた渋谷に戻ることができて、大好きな先生が帰るのを楽しみに渋谷駅に通うことが出来るようになりました。
 
 サムネイルで使っている写真は、大館市に本部がある秋田犬保存会の秋田犬展示室に展示してあるハチ公の生の写真です。
 秋田犬保存会に申し込んで特別に写真を撮らせていただきました。
生写真とあって、デジタルとは違い本当にハチと対面しているような凄さがあります。
ハチ公が嬉しそうに笑っているように見えます。 
 分かりにくいんですが、後ろには駅員が窓から体を半分だして、手を伸ばしているのが移っています。
そして荷車が置かれていることから、写真が撮られたこの場所は、ハチが、晩年寝泊りしていた渋谷駅の小荷物室前ではないかと思われます。
 ハチが笑っているように見える写真は、渋谷の白根郷土資料館にもあります。
その写真は、近年、新たに発見されたものだそうです。

秋田県に関連する人物、動物、観光地、伝説などの動画を制作しています。
特にハチ公。秋田犬。
よろしければチャンネル登録お願いします。

English translation
title:
Only a few years when Hachi was able to spend time with Dr. Ueno.
Text:
In this way, Hachi left Odate City in the snowy country and began living in the big city.
Hachi was weak when he was young and often got sick.
Each time, Dr. Ueno loved Hachiko like his own child,
laying him on his bed and taking care of him all night.
Since there were no children between Dr. Ueno and Mrs. Yaeko,
they probably loved Hachi like their own.
Thanks to that, Hachi grew steadily,
and it became a daily routine to send Dr. Ueno to Shibuya station.
Hachi was able to spend only a few years with Dr. Ueno,
but it was a rich and happy time that Hachi would never forget.

show more

Share/Embed