圓生と二人の圓楽 「死神」三遊亭の系譜【落語】
緩落語ch:荒獅子男乃助 緩落語ch:荒獅子男乃助
7.72K subscribers
2,469 views
28

 Published On Sep 26, 2024

0:48 六代目 三遊亭 圓生
28:43 五代目 三遊亭 圓楽
1:04:54 六代目 三遊亭 圓楽

「死神」
初代三遊亭圓朝がグリム童話の第2版に収載された『死神の名付け親』を翻案した噺。わずかな金の算段もできず女房から悪口雑言で馬鹿にされた男は家を飛び出し大きな木の下で首でもくくろうかと思っていると後ろから死神に声を掛けられ、医者をやれと提案される。男は半信半疑ながら死神の提案通りに医者の看板をかまぼこの板で作って掲げると・・・

六代目 三遊亭 圓生
落語家としてデビューした子供の頃に、他の落語家の高座を盗み聞きするだけで(稽古をつけられなくても)覚えていった噺も多いという。個人の持つ演目数としては、落語史上でも最多だったのではないかと言われている。古典落語・新作落語の別を問わず人気先行で芸を磨く事を怠る芸人を嫌い、草花は綺麗だが1年で枯れるしそればかりでは花壇になってしまう、日本庭園の松の木のようなしっかり磨いた芸を育てなければ、と語っていた。1978年に、日本の江戸落語の団体である落語協会において、当時の会長5代目柳家小さんらが行った真打大量昇進に対して、前会長で最高顧問の6代目三遊亭圓生がこれに反発する形で落語協会を脱退して一門弟子を連れ新団体の落語三遊協会を設立した。

五代目 三遊亭 圓楽
1933年1月3日東京生まれ。六代目三遊亭圓生に入門
上野鈴本演芸場で落語を見て「戦争ですべてを奪われ暗い顔をした人々にこうやって笑いを起こさせることができる落語はすごい」と落語家になることを決意した。落語家になって数年経っても「噺は上手いが圓生の真似だ」と言われ圓楽自身も悩みストレスで一時は体重が48kgになったり自殺未遂をしかけるほどだった。若き日の自己のキャッチフレーズを「名人圓楽」とするが師匠などから「若手の分際で名人とは生意気だ」と怒られキャッチフレーズを「星の王子さま」に変更した。「落語界・寄席でタブーとされることを全部やってやる」「寄席の価値観の逆をやる」という戦略をとり瞬く間にスターとなった。
7代目立川談志、3代目古今亭志ん朝、5代目春風亭柳朝(柳朝休業後は8代目橘家圓蔵)とともに「東京落語四天王」と呼ばれた

六代目 三遊亭 圓楽
落語の魅力を「日本人が考えた最高のエンターテインメント」と形容しており「たったひとりで小宇宙を作って、うまくやれば喜怒哀楽の全部が落語の中にある。もっとキザに言えば、いい時代の日本人がいた。そういう時代を忘れてるわけでしょ、日本人の忘れ物がね、やさしさとか人情とか愛だとか友情とか、それが全部落語の中にあるわけ。だから日本人の忘れ物は落語の中に取りに行けばいい」と語っていた


トークなしで純粋に落語だけを楽しみたい方はこちらでどうぞ
落語の蔵:   / @repli455  

#落語 #六代目円楽#五代目圓楽 #圓生 #死神

show more

Share/Embed