宮崎県延岡市島野浦
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 Published On Jul 19, 2021

観光地ではないため、あまり見所はありませんでした
地元の人々が普通に生活している場所でした
高速艇はおもしろいw

●島野浦沖に木箱漂流
 江戸末期、島野浦(延岡市)の漁師がカツオ漁に出かけ、その帰港の途中、波間に漂う大きな木箱を見つけた。漁師たちは好奇心にかられて拾い上げた。海藻や貝が付着していた木箱を手おので開けると、中には白骨死体があり、金髪の頭部に、赤や青の宝石をちりばめた黄金の冠が光り輝いていた。
 漁師の間ではその冠を取り出そうという意見も出たが、後のたたりを恐れ、小島にそのまま埋めることにした。そして、このことはどんなことがあっても決して他言はしない、二度とこの島に上陸はしないと誓い合った。
 そのころメキシコで内乱があり、島の人々はこの白骨死体をメキシコ女王と信じた。今も、海に流した女王のひつぎが潮流に乗って流れ着いたのだと言い伝えている。
 この伝説の基となった出来事が延岡藩・内藤家文書にある。村役人が郡奉行へ報告したもので、概要はこうだ。
 弘化3(1846)年7月24日、島野浦の漁師たちが島の約4里沖でカツオ漁をしていた。朝6時ごろ、木材のようなものが流れていたので船を寄せると、長さ2メートルほどの箱で、海藻や貝が付いていた。船に上げ、のみで12センチほど開け、細い棒に釣り針を付けて箱の中のものを引き出すと、綿が少しと人の歯か骨のようなものであった。
 初めはそのまま再び海に流そうとしたが、遺骨を竜神が嫌うということで、丁寧に弔ってやれば霊も慰められ、豊漁になるだろうということになり、港に持ち帰ることにした。しかし、日暮れになったので島野浦の日井之小島に置いて帰り、経緯を船主に報告した。人骨は不浄なのでおはらいなど船清めをして、翌々日漁師3人を小島に行かせて、浜のやぶに埋めさせた。
 文書では木箱と内蔵物についても具体的に記載してある。箱は長さ約2メートル、高さ、幅とも44センチ、板の厚み約5センチ。内蔵物は頭がい骨1つといろいろな骨、長い三つ編みの毛髪、七島ござの切れ端、靴1足、足袋のようなもの、切れ切れになった布団綿のような綿、木綿の青染めきれ、衣装の胸に真ちゅうのボタン2個などとなっている。
 この古文書からも、人骨の入った木箱を島野浦の漁師が拾ったのは史実である。しかし、宝冠だとか金髪などの記述はない。三つ編みの長い髪の毛から女性、そして女王と尾ひれがついて秘宝発見伝説になったのであろう。

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