Published On Aug 19, 2024
1996年 全国大会、ここが大きな転機だったことは間違いない。宮一弘先生と京都橘女子高校吹奏楽部の長年に渡る努力が遂に結実し、全く隙が無い見事なプログラムが完成した。演奏冒頭、シボネーからのフォーメーションチェンジで会場の目をくぎ付けにして、会場からは期せずして大きな拍手が鳴り響いた!見事な演奏演技の連続から最後は圧巻のエルクンバンチェロの演奏で、壮絶なフォーメーションチェンジの連続で締めくくった!最初から最後まで完全無欠の見事なプログラムだ!今回の映像を作成するに当たって1988年から順番に2023年までの全ての京都大会、関西大会、全国大会の映像を見たが鳥肌が立ったのは1996年と2014年の関西大会だけだ。
果たしてこんなことが出来るまでに、どれだけの練習を積み重ねたのだろうか・・・関西ステージマーチングショーの最初の挨拶で数名の部員さんが、練習中にメンバーが倒れる様子を演じていたことがあった。そして会場で見ていた他の部員に「練習中に倒れたことがある人は手を挙げて!」と指示すると半分近くの部員の手が上がった・・・まさに過酷な練習に必死に食らいついた部員の皆さんの努力の賜物と言える。田中元顧問の本に記載があるように、宮一弘先生のプログラムのつくり方は、かなり独特で、長時間に渡って延々とフォーメーションの変更の指示が続くという過酷な条件を耐えることができた京都橘のメンバーの血と汗の結晶により見事な演奏が完成された。
1996年から3年間に渡って現在のゴールド金賞に当たるグッドサウンド賞を受賞し、当時の全日本吹奏楽連盟会長の酒井正幸理事長から吹奏楽連盟が理想とするトップバンドだと称され、名実ともに日本の最高峰を極めることになる。京都橘高校が吹連のほぼ全てのバンドから目標にされていた時代だ。現在の全国大会のゴールド金賞は出場校の約三分の一の8校前後がもらえるが、当時のグッドサウンド賞は高校では僅か2校だけが受賞できる。今回当時の他の出演団体の演奏の映像も確認したが、M協が誇る強豪バンドも大挙して参加していた当時、西原高校(今や日本が世界に誇る最強のバンドの一つ、WMC世界音楽コンテスト・ケルクラーデ2022で、大会ハイライトとなるショー部門チャンピオンシップで見事に優勝し世界一となった。日本マーチングバンド協会(M協)の全国大会2022年と2023年で金賞と最優秀賞を奪還!京都橘高校に続いて台湾に招待され見事な演奏を披露した。私の大好きなバンドの一つだ。)や大洗高校をはじめとするバンドがDCI顔負けの圧巻の演奏を披露していた。
それに対抗する形で吹連を代表するトップ中のトップバンドが京都橘女子高校だったが、2000年の暮れに宮一弘先生がご逝去されたことで全てが暗転する。マーチングの動きや楽曲を決めていたのは全て宮一弘先生だったが、頼りとなる指導者を失ってしまい、2001年から楽曲の選曲、動き、コンテもすべて生徒自身が作成しなければならなくなってしまった。特に2001年と2002年のパフォーマンスは、これが本当に京都橘なのかと見ていて悲しくなるほどだ。しかし2003年は驚異的なV字回復を果たし、全くミスのない圧巻のパフォーマンスを披露、全国大会への出場は間違いないと思われたが、M協のバンドのDCI張りの圧巻のパフォーマンスの前に涙を飲むことになった。翌2004年もアフロキューバンジャズを切り札に素晴らしいパフォーマンスを披露するがM協のバンドのDCI張りの見事なパフォーマンスの牙城を崩すことが出来なかった。(当時のものでも最近のものでもM協のパフォーマンスがいかにすごいものであるかを1度見ることをお勧めします、111期のメンタプーさんだけでなくタケシバさん他、数人がアメリカに渡ってチャレンジした本場のDCIを凌駕するようなM協のパフォーマンスは一見の価値があります。)凄まじいスピード感と感情溢れるM協のパフォーマンスは見栄えも良く、心に訴えかける大きなインパクトが与えられることもあり審査結果もM協のバンド有利に働いているような傾向が確かにあった。翌2005年、M協のバンドへの対策として、今までの伝統的なマーチングスタイルを捨てるという危険を冒して、たとえ音質が劣化しても派手さを前面に出したプログラムにするために前年に話題となっていたバーンザフロアのダンスムーヴメントを取り入れることを決意、以後京都橘高校吹奏楽部の代名詞となってゆくことになった。最後のフェスティバルの部での参加となった2006年、打倒M協の為にプログラムの最初からダンス付きSingSingSingを演奏(M協のバンドは最初から圧倒的な派手な演奏でスタートするのに対抗する為)、ミスのない完璧な演奏をして全国大会出場は間違いないと思われたが、またもM協バンドの牙城を崩すことはできなかった。京都橘高校は、入学する生徒の減少に歯止めが利かない状況から男女共学にしたりといった施策を講じたが期待するような効果は無く、ついに廃校になることが決定してしまう。一方、規定演目に統一されM協のバンドが一掃されたマーチンコンテストの全国大会で目覚ましい結果を出すことに成功した京都橘高校吹奏楽は笑ってコラえて!の密着取材を受け、廃校の危機を脱する・・・ 沢山の涙と笑いに満ちたマーチングコンテストの頂点へのあくなき挑戦の歴史を追ったドキュメント映像です。
映像の作成を終えて、改めて数奇な運命に翻弄されながらもマーチングのトップバンドに君臨し続けている京都橘高校吹奏楽部の凄さを感じました。宮一弘先生の指導のもと、3年連続、全てのマーコンで満票での現在の金賞であるグッドサウンド賞を受賞し、マーチングバンドの頂点に立つも、宮一弘先生の突然のご逝去により一転奈落の底に落とされる。2003年に驚異的なV字回復を果たすもM協のバンドの牙城をどうしても崩すことができず、全国大会への出場がかなわないため、今までの伝統的なマーチングスタイルを捨てて、音質が悪くなることも省みずバーンザフロアのダンスムーヴメントを取り入れたスタイルに変更した。(もしM協のバンドがいなければ、間違いなく、伝統的なスタイルマーチングスタイルを捨てるなんてことはするはずもない。ダンスムーヴを取り入れるなんて、うまくいくか分からないのだから当然だ)しかしこの時、廃校になる予兆が出始め、男女共学にするなどの対策も、効果はなかった。
しかし今、俯瞰して見た時、2011年の奇跡が起きるため、見えざる手が働いていたかのような流れに不思議さを感じぜずにはいられない。全ては必然だったようにしか思えないからだ。
この映像の作成は想像以上に大変な作業となり、実は途中で何度も作成をあきらめようと思いましたが、何とか完成することが出来て本当に良かったと思っています。実は私が知りえた情報を沢山映像中に記載していたのですが、完成した映像を友人に見せたところ、ここまでの内容を暴露することはよした方が良いという意見を多数いただき、泣く泣く作成しなおしました。なので私としては、ちょっと内容的に物足りなさも無いわけではないのですが、全体的
にはなかなか秀逸な映像に仕上がったと思っています(^_-)-☆ Orange fairy
étoile(エトワール)とは、バレエ団で花形の踊り手、スターであるプリンシパルのこと。115期が自分たちのことをétoileと称していた。まさに京都橘高校吹奏楽部は吹奏楽界で最高の踊り手であることから、この映像のタイトルにしました。
Kyoto Tachibana S.H.S. Band 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020 2021 2022 2023